映画『ライフ・イズ・ビューティフル』ネタバレ感想と解説!

  • 2020年1月11日
  • 映画
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Okko
今回は、大好きな映画があるのでご紹介したいと思います。
今日おすすめしたい映画は、1999年公開の映画『ライフ・イズ・ビューティフル』です。

映画『ライフ・イズ・ビューティフル』のあらすじ

はじめに、映画『ライフ・イズ・ビューティフル』をまだ観ていない方向けに、キャストやあらすじについてご紹介します。

 

映画『ライフ・イズ・ビューティフル』の出演者

 

グイド(ロベルト・ベニーニ)

主人公。本屋を開業したいと考えている、ユダヤ系イタリア人。

 

ドーラ(ニコレッタ・ブラスキ:グイド役・ベニーニの実の奥さんなのです!)

小学校教師で、のちにグイドの妻になる。

 

ジオ(ジュスティーノ・ドゥラーノ)

グイドの叔父。グイドにホテルの給仕の仕事を紹介してくれる。

 

レッシング(ホルスト・ブッフホルツ)

ジョズエが給仕をするホテルの客であり、なぞなぞに取りつかれたドイツ人医師。

 

ジョズエ(ジョルジオ・カンタリーニ)

グイドとドーラの息子。

 

あらすじ(ネタバレなし)

1937年、舞台は第二次世界大戦中のイタリア・トスカーナ地方の小さな町アレッツォ。

本屋を開業するためにやってきた、ユダヤ系イタリア人の青年・グイドは、美しい小学校教師のドーラと運命的な出会いをし、恋に落ちます。

ドーラの前に何度もコミカルに現れては、猛アピールをするグイドに対し、ドーラはしだいに心を奪われます。

ドーラは婚約者がいましたが、ドーラと婚約者の婚約パーティで、グイドはドーラを略奪し、二人は結ばれます。

2人の息子・ジョズエも生まれ、幸せな生活を送っていました。

ところが、第二次世界大戦がはじまると、ナチス・ドイツによるユダヤ人迫害がイタリアでも行われるようになります。

ある日ドーラが外出したすきに、グイドとジョズエは強制収容所に連行されてしまいます。

ドーラは二人が連れていかれたことを知ると、すぐに自ら収容所行きの列車に乗り、あとを追いかけます。

グイドはジョズエを怖がらせないように、自分たちが収容所に連れてこられたのは、ゲームをするためだと必死に嘘をつきます。

戦車にあこがれているジョズエのために、1000点ポイントをためて勝ち抜くと戦車がもらえるのだ、と説明するのでした。

 

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感想と解説・ネタバレあり ※ネタバレを含みますのでご注意ください

深い家族愛に感動

コメディアン俳優(当作品の監督・脚本家でもある)のロベルト・ベニーニ演じるグイドが、ドーラの前に何度もユーモアあふれる登場をするので、前半は楽しくコミカルな雰囲気です。

ドーラの婚約パーティでグイドが馬に乗って登場し、彼女の婚約者から奪って連れ去り、二人の子供・ジョズエが生まれるところまでは幸せあふれる雰囲気です。

ところが後半、第二次世界大戦がはじまると、話も一転して陰鬱な雰囲気になります。

強制収容所に連れてこられ、グイドはジョズエのために必死に嘘をつきます。

日中、過酷な労働を強いられて、くたくたになって部屋に帰ってきても、ジョズエのまえではこれもゲームに勝ち抜いて戦車をもらうためだと愛のある嘘をつき、その深い親子愛がとてもせつなく感じます。

女性側の収容所に入れられ引き離されたドーラのために、グイドは強制労働の合間を縫って収容所の放送室に入り込みます。

そこでスピーカーを使って、自分とジョズエの声を届けてドーラに無事を知らせます。

このシーンがとてもロマンティックで、一番家族愛を感じるシーンでした。

収容所生活でいつ殺されるかわからない、ピリピリとした緊張感のあるシーンの連続で、唯一心が和むシーンでした。

また、グイドが収容所の給仕会場で給仕を務めることになった際に、ナチス軍のすきを見てスピーカーを外に向けて、自分とドーラの思い出の曲を流し、遠くから聴こえてくるその曲にドーラが聴き入る、というシーンがあり、この二人の姿にも夫婦愛を感じました。

終盤、収容所が撤退準備をはじめたため、グイドはジョズエを外の物入れに隠します。

自分はドーラを探しに行こうとしたところでドイツ軍の兵士につかまってしまいます。

その後彼は建物の奥に連れていかれて射殺されるのですが、連行される際にジョズエが入った物置の前を通るときに、ジョズエが物置の隙間から自分を見ているだろうと思い、おどけて行進のポーズを取ります。

最後の最後までジョズエには不安な気持ちにさせないよう、コミカルにふるまっていました。

最後、ジョズエはアメリカ軍に救い出してもらい、戦車に乗せてもらいます。戦車を見たジョズエは、自分が1000点取ってゲームに勝ったのだと思い、歓声をあげます。

戦車に乗ったジョズエは、ドーラを見つけて母子の再会を果たします。

自分の命をかけて、妻と息子を守り通したグイドの家族愛の美しさに感動します。

 

軍医のなぞなぞ

グイドが独身時代にホテルで給仕をしていた頃、お得意客のドイツ人医師・レッシングがいました。

彼はなぞなぞマニアで、グイドとなぞなぞの問題を考えてはなぞなぞを出し合う、という関係で、グイドのことをなぞなぞマニアとして一目置いていました。

そんなレッシングとグイドは収容所でばったりと再会します。

レッシングのはからいで、一夜だけ給仕としてドイツ軍の給仕会場のお手伝いができることになります。

その際に、ドイツ軍のすきをみて、レッシングがグイドを呼び寄せて話しかけるシーンがあります。

グイドは昔からの知り合いであるレッシングが、自分や家族のことを助けてくれるかもしれない、敵ばかりの収容所で、いつ殺されるかわからない窮地に立たされた状態の自分を救ってくれるかもしれない、と希望の光が見えていたのですが、レッシングがグイドを呼び寄せて言った言葉は

「デブで、醜くて黄色くて、どこにいるかというと、ココ・ココと答える。歩きながらウンチをする。私は誰だ?」

というなぞなぞでした。

レッシングはいったい何を言いたかったのでしょうか。

このなぞなぞは、海外の方でも「ユダヤ人を皮肉っているなぞなぞだ」(=答えはユダヤ人だろう)と解釈されているのですが、レッシングの心境に関する解釈は、この作品を見た人それぞれ異なるようです。

私の家族は、レッシングはグイド家族を救いたかったが、周りにドイツ軍兵士がいる中で自分だけがグイドの味方になることはできない、助けられない、ということをなぞなぞを通して伝えたかったのでは、という解釈をしていました。

私は、レッシングはどうもグイド家族を救おうと考えていたようには見えなくて、レッシングはおそらく本当になぞなぞに取りつかれていて、ただ単になぞなぞの答えを知りたかっただけなのだと思いました。

グイドはレッシングの様子から救いがないことを悟って落胆し失望しますが、レッシングはそんな様子にもおかまいなしで、動物の鳴き声をマネしてなぞなぞの答えを聞いてきます。

彼の滑稽で非情な様子は、ナチスの愚かさや、戦争は人を残酷にする、ということを表しているのではないかと感じました。

かつて、ナチスがユダヤ人を大量虐殺(ホロコースト)しましたが、ふだん私たちが日常生活をおくる中で、ふつうの感覚では人を大量虐殺するなんて考えられないし、やれと言われてもできません。

しかしホロコーストは、戦時中に権力者から命令を受け、周りの大衆もそれを望んでいるという状況下に置かれると、人はふだん考えられないような残虐行為までできてしまう、ということを表した事件だったと言えます。

レッシングも、ドイツ軍の軍医という立場から、ドイツのために職務を遂行することに忠実な人間であると想像でき、ユダヤ人であるグイドを窮地から救おうなどとは一ミリも考えていなかったのだろうと感じます。

かつてはホテルでなぞなぞを出し合っていたほどの仲だったにも関わらず、グイドに対して非情で無関心なレッシングの態度に、戦争が人間を残酷にしてしまう、という戦争の怖さを改めて感じたシーンでした。

 

まとめ

Okko
戦争がからむ話は、暗く・悲しくて好きではないのですが、この作品は今まで観た映画の中で一番深い家族愛を感じ、気に入っている映画です。
父親が命をかけて守り抜いた息子のジョズエが無事大人に成長し、お父さんを思い出して語る、という構成もとても良いです。
イタリア映画は、家族愛を描かせると右に出るものはいないのでは、と感じますね。
わが家の息子たちが大きくなり、内容が理解できるようになったら、また一緒に鑑賞したいと思っています。

 

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